数日前にマックで泣きながら綴った遺書でした。どうして、私が生きているのか。それは、死ぬ方法も思いつかなかったし、死ぬ前にと会った友達、愛菜と麻里子のおかげでもあるし、アポなしで家に泊めてくれたバイト友達の友恵ちゃんのおかげでもあるし、大学の男友達、聡久のおかげでもあろう。そしてある意味で、太宰治の斜陽のおかげでもあるかもしれない。
『希望の基盤がない』
という言葉に、私は、打たれたのです。
やっと、トゥーサンの『カメラ』の、最後の一行の意味が分かった気がします。
『生きている。』