例えば、コーヒーや、マフラーや、コートや、布団。そういうものは暖かい。本当に暖かい。私は、その暖かさや心地よさを、少しだけ端に置いた生活をしていた。家に帰って、夕飯が出来ている心地よさや、お風呂に入ってすっかり脱力して、暖かい布団に入り込んで、眠りについてしまうような、そういう暖かいものをどこかに置いてきた。大好きなくせに、江国香織の文章みたいで、なんだか馴染めなくて、遠くに逃げていた。(本当は江国香織の文章だって、上品で好きなくせに。)



ちがう。もうそろそろ戻ってもいい。そういう暖かさや優しさに。私はそこに立ち戻って、醜い自分を見据えたい。そして、暖かな気持ちで成長とか、健康とか、しらじらしいものを体一杯に浴びたい。日常っていう、よく使う言葉がある。けど、どんなものか分からなくなっていたから使っていた。多分、本当に日常にいる人は、そんなもの愛さない。けど、日常を取り戻したい人は、その言葉の響きに本当に憧れる。非日常なんて、きっと目の前に沢山転がっている。だからこそ、日常は綺麗だ。日常にうんと退屈しよう。ご飯も眠りも通学もなにもかもに、うんと退屈するんだ。所属する場所に、しなければいけない場所に、沢山退屈して文句を言おう。それが暖かいものだから。



人の体温というものの暖かさを知った。それが愛しかった。けど、それだけで止まってはいけない。きっと恋愛は非日常だ。まだ、私にとっては。日常を見よう。見据えよう。
けど、夜遊びを始めてから、母親が自分を探し始めた。兄が動き始めた。このまま、きっと、何処までもいける。何処にも行けない日常の範囲の狭さは、きっと自分を何処までも運んでくれる。
苦しもう。悲しもう。それで、暖かくして眠ろう。昼間や夕方なら、コートとコーヒーに埋もれよう。