憎むべき兄、私の敵。けれど、守られるべきクライアント。



彼と、外出した。最近心療内科に通いだした兄と病院はどんな感じか以前話していた。就きたい職業が丁度カウンセラーなので、興味があったのだ。絵を書いて精神鑑定をした、とか、先生がいい人だ、とか色々な話をした後、連れて行ってやろう、といわれた。別にそこまで、とも思ったのだが、まあ実現しないだろうと思い、ありがとう、と言っておいた。
が、本当に実現した。彼にそこまでの行動力がついたことに驚いた。まさか、本当に連れて行ってもらえるとは思ってもいなかったのだ。



兄と歩き出す。会話がないとものすごく気まずいので、色々と会話を持ち込んだ。きちんと受け答えもするし、前よりも禁じ手な話題が減っていることに驚いた。私はあんなに憎んでいたのに、何とかなる時はなんとかなるらしい。その「何とかなり方」があんまりにも自然で、違和感があるほどだった。
正直、兄の身なりだって、髪は長いし、肌は異常に白いし、格好だって秋葉系代表みたいな雰囲気で、一緒に歩くには少し足りないものがあるはずなのだが、実際歩いてみると、恥ずかしくもなんともなかった。
時どきとる挙動不審な行動だって、さして嫌でもなかった。肉親の力は思うよりつよいんだ。兄とは確かに18年間同じ家で暮らしてきた兄弟なのだ。嫌な事もされたし、こちらもした。存在を否定されたし、こちらも否定していた。けれど、外に出てみて、恥ずかしいと思わない自分は、結局そういう、家の中の空気みたいなもので兄と結びついていたんだろう。



実際行ってみると、向こうの先生にきちんと話が通っていなくて、その場で急遽時間を入れてもらい、少しだけ話をした。正直に「まさか本当に連れてきてもらえるとは」と先生に言うと、先生も驚いていた。私が強引についてきた訳ではなく、兄が連れてきたことに。そして、少なからず喜んでいた。回復しつつあるね、と。
実際、自分の心理学に対する悩みも聞いてもらえて、その場で働く人の空気も吸えて、ものすごく為にもなった。
そして、「お兄さんを外に連れ出してあげてね。」と頼まれた。バイトの帰り遅くなった時は迎えに来てもらうとか、時々外でお茶をするとか、そういう方法で。それもいいかもしれない、そうしよう、と素直に思った。本当に素直に純粋に、それはいい、と思えた。
実際に、その後お昼ご飯を二人で食べて、沈黙もなく気まずくもなく、話をした。家族の昔話や、美味しいものの話を。引きこもっていても、感性は死んでいない。止まった時間の中でも、生きているなにかがある。彼は死んでいなかった。死んだように家にいるだけではなかった。



本当のことを言おう。私たち兄弟は、実は仲が悪くないのだ。絶対的に。暴力を受けても、罵倒しても、私たち兄弟は、仲がいいからそうなったのだ。それは、断言できる、今なら。認めたくなかったけれど、素直に断言できるのだ。兄は私にとってそれなりに頼れる存在だし、兄からしたら私は大切にしたい存在なのだ。
私が心理に進んだのも、少なからず、兄の影響なのだ。そこに着眼したのは。



家に帰り、リビングで一休みしていると、ふと写真が沢山入った箱を見つけた。それはほとんどが兄がまだ赤ん坊の頃の写真で、私の写真は一枚もなかった。けれど、そこにもう嫉妬はしない。ただただ、楽しそうに笑い、寄り添う母や父と、その腕の中に収められた兄の姿を微笑ましく思った。
自覚の無いまま、涙が出た。それは、衝動的で大きくて短かった。
大切にされた記憶。優しい家の雰囲気。希望。期待。それがまだ美しかった頃。『feed』という単語で現した作家がいる。それだ。私たちはそこから来て、どんどんそれは遠ざかる。遠くに行くに連れて、きっと色んなものが変わって、歪んでいく。
けれど。