なにが何でも、結局は生きなければならない。この事実を知ってもう何年も経っているけれど、それを上手に理解しきっていない。何度も同じところで躓き、何度も駄目になる。けれど、だからこそ、私は生きている。きっと、数ヵ月後だって、私は同じ事思う。数年後も思っているかもしれない。何度だって駄目になり、何度も生きる。それはアンチテーゼとして、何度も死んでいるという事だ。けどいいよ。何度だって死ぬよ。そうして生き返る。発展的な人生が素晴らしいとは言えない。井戸の中に入り込んで、上も下も右も左も理解できない人間が、下らないガラクタなんて言えないだろう。私は生きていくのだ。何度だって井戸に潜る。そうして、その壁をいつか抜ける。そういうのが重要なんだ。私には確固とした目標があり、そのための毎日を過ごしている。学問ではない。感覚を研ぎ澄ませるんだ。久美子を探し出すように、私もそれを見つけ出す。私の近くには常に何らかの形で笹原メイだって生きている。アヒルのヒトたちも、そこにはいる。私はいつか、笹原メイになってやる。そのために、井戸に入る。



結局はそういう事だと思う。あの本って。ああ、本当に面白かったって思った。河合隼雄の本と繋げて読んで本当に良かった。