愛菜に最近起こった不純な毎日についてを話して、参ってしまった。



すっぱりと『軽い女だ』といわれた。
すげぇ、いままでそんな単語露骨に言ってくれた人がいない。皆結構肯定的な言葉をくれたのに、と落ち込んだ。肯定を期待して話したのではない。愛菜が大好きだから話したのだけれども、その聖母さに打たれて死にそうだった。ある意味、心地よく死ねそうだった。確かに、世間一般ではそうなるだろう。
そして、『自分の体の価値を下げちゃいけないよ』とも、言われた。
誰もが言えるような決まったフレーズが、どうして愛菜が言うと力のこもった素晴らしい助言に聞こえるのだろう。思わず自分の体を気遣ってしまいそうだ。



私の隠れモットーとして固定してきた気持ちがある。
『悪事を働いたとしても、それが大きな幸せに繋がり、かつ愛する人々に迷惑がかからないのなら、それは悪事ではない。』
という気持ち。
が、崩されそうになった。道徳とか、そういう固定概念が大嫌いなのだ。そんなの、本当に言っていられるところは暖かな温室のみ。外に出れば不純なものだらけだ。だけど、それでもその道徳観を忘れるのは正しいのだろうか。本当にそれでいいの?と自問してしまった。



今、愛菜の助言の所為(おかげ)で、ゆらゆらしている。
けじめをつけるか、それとも、荒っぽい幸福を骨の瑞まで味わってみるか。その疑問が出てきてしまった時点で、どうせもう何をしても骨の瑞までは味わえないんだ。ああ、愛菜、私のママ。私はどうすればいいの?
そう思いながら、愛菜には「けじめをつけます!」と断言してしまった。半泣きで。彼女は、裏切れないぞ。