ここ数日で、ポジティブでもありパッシブでもあり、文字通りアグレッシブな日々を送った。愛してやまない友達と飲んで飲んで、チューしたり、長期バイト初体験一日目だったり、兄にもう2年ぶり位であろう暴行を受けたり、また今日もおばさま方と飲んだり。
激動の日々にただ驚きや疲れや絶望や希望や愛やなんだもう。
とにかく、日常が凝縮されて発散された感じ。多分、今まで生きてきた事を総ざらいにした感じ。
思い出には形が無い。それは、とにかく私の信用できない頭の中にあって、そして今働く感性が生まれた場所でもある。しかし、物理的痛みには形があり、心の痛みは信用できない頭でもよく覚えているものだ。それに侵食されないように、私は楽しいものを綺麗に選んでいかなければならない。そこには私の人生における一切の決意がある。


12から16の間の私の日々は、重荷を背負っていた。父が無職になり、兄が不登校となり、祖父が死んだ。そして母は離婚を考え、一家心中さえも考え、私は自殺願望と喫煙を覚えた。そして、ついでに暴力の力を知った。度重なる兄の暴力。時に血を流したまま、キッチンに寝そべった事もある。
あくまで、その日々は自分が主体であり、他人はケアすることさえ出来なかった。むしろ傷つけて駄目にした。私は基本的にそこそこ裕福な暮らしの中に居るお嬢さんだったので。そんな苦労に眩暈をおこして、日々右往左往。当時の思い出は、正直最悪。私には、その頃の陰がある。思い出により私の心はしばらく鬱で、沢山の友達をも巻き込み生きることさえままならなかった。
今、17から18にかけて、私は芽生えつつあったなんか、希望みたいな、もっと正確に表現しようと思うと、人生に対する肯定を自分の心に持ち込んで、それを陰に被せて、生きられるようにした。何度も何度も絶望に足を引っ張られながら、私は今の形を保ち生きている。それは、沢山の人のお陰だ。何度傷つけても横に居てくれる人や、こんなくず相手に何かをきちんと手伝ってくれる人、本音を撒き散らかして傷つけてくるのに引っ張っていてくれる人、私を信用し慕う人、あげればキリがない。少し凡庸な救われ方だけど、その凡庸さは私の心では温かいのだ。
思い出は鎌首を上げて希望を突き破る。何度も何度も何度も。それに勝つのは凡庸な救い。つまり、そういう事。そして、凡庸な救いを求める方法は、楽しくなることなのだ。私は今日も、明日も、出来るだけ楽しい日々を送る。暗いものを見ても引き込まれないだけの、それをむしろ手の上で弄び、心の底では蔑む事ができるくらいの、精一杯の楽しさを。


そして、家の中で一箇所だけ時間の止まった兄に、私は笑いかけるのだ。これは善ではない。まして、偽善でもない。頬に残った昨日の暴行の傷跡を化粧で綺麗に隠して、笑う笑う。