再生も、死も、いつ訪れるか分からなくて、知らないうちに自分の心はあっさりと死んでいたり、生き返っていたりする。本当に、何がなんだか、よく分からない。磨り減っているのかもしれない、けれど、どこでどう磨り減っているのか、何が悲しいのか、考えるほどよく分からない。


時々思う。人は、綺麗な事を言う。私も、綺麗な事を時々考える。綺麗過ぎること。でも、その裏に、どこまで汚いものが潜んでいるんだろう。
本当に大切な恋だと思っているものは、もしかしたら性欲なのかもしれないと思うときがある。
誰かが私に助けを求めてきた時、その人を助けようと思う。けど、それはただ、自己満足したいだけなのかもしれないとも、思う。
本当に純粋な優しさなんて、世の中にないとしたら、私は普通なのかもしれない。けど、違うとしたら、私はなんて醜いのだろう。どうして未だに、家族に所属したくないのだろうか。どうして大学でグループとして動きたくないのだろうか。どうして私は衝動的な自分勝手な行動を、何もかも掻き捨ててできるのだろうか。たった一瞬の喜びのためだけに。
私は自分に理想を持ちすぎなのだろうか。



とある所に、本当の自分探しなんて必要はないんだ、という言葉があった。それは下手をすれば現実逃避にもなり得ると。ありのままの自分を受け入れることが大切らしい。私はその言葉を見た瞬間、その考えを掻き捨てた。本当に悩まなければ、何が分かるというのだろう、と、思った。
けれど、きっと私は遠回りをしている。きっと皆、どこかで腰を据えて、正しい方法で何かを見つけているのかもしれない。ありのままを受け入れることによって生まれる、何らかのものを、きちんと吸い取って、上手に生きているのかもしれない。
それに負けたくないのだ。



自分の混乱の要素が多すぎるのかもしれない。言葉に捕らわれるぎているのかもしれない。そういう寒い日は、幸せを考えるよ。