ゆっくり家にいることが多くなってきた。前はそんなに外出を繰り返していたのかと考えると、いまいちよく分からないけれど、なんにしても、とにかく家にいると実感できる毎日。家のリビング、誰もいなくて、ビールでもコーヒーでも水でもなんでも、飲むものを横に置き、くるりでもRedio headでもビョークでもなんでも音楽をかけて、煙草を吸いながら本を読むのが大好きだ。そんな風にして、今さっきまで時間を潰していた。潰す理由なんてないけれど、とにかくそう過ごしていた。
けれど、その自分の素晴らしい安らぎと沈黙を壊す存在がいる。愛犬のナナだ。もう多分4歳になる。アメリカン・コッカー・スパニエル。ファッショナブルな外見。愛想のいい性質。いたずらっこ。本当にかわいい。表情があって、よく笑うし、悲しみもする。見ていると、たまらず抱きしめたくなる。



本を読んでいて、愛犬が邪魔をする光景は美しく見えるだろう。けれど、家のナナは違う。もっと深刻で敏感で可哀想なのだ。
じっと見つめて、時どき足に触り、構ってと言う。(口では言えないけれど、なんとなく耳で聞いたのに近い感じで。)そちらに視線を移すと、少しだけ眉間に皺を寄せている。けれど私は本を読みたくて、2・3回撫でてからまた本を読む。けれど、それだけでは飽き足りない。ナナはいたずらを始めて気を引こうとする。私は優しく「だめだよ」と言う。
すると、ナナは本当に悲しそうな顔をする。今、構ってくれなければ死んでしまう、とでも言うように。そして、小刻みに震える。
わがまま。いつでも愛が欲しい。



多分、家の犬はものすごくかわいそうな犬だと思う。
喧嘩をして家族がひどく歪になってしまったところを見たり、誰かが怒っているところを見たり、そういう険悪な雰囲気を鼻で感じ取ってきた。そういう間は、誰もナナに構ったりしない。また、うちの母の子育ては感情的なので(ある意味やつ当たり的ともいう)ものすごく悪いことをナナがすると、それこそ存在を否定しにかかるように頭ごなしに叱ったり、無視したりする。
だから、構ってくれないと本当に死んでしまいそうなのだ。怒った顔をしたり、悲しい顔をしたりする。その顔は、本当に母の表情にそっくりで驚いた。
また、家族間の楽しい会話の最中、ナナはものすごく間に入ろうとする。もしくは喜ぶ。皆が仲良くしているのを鼻で感じて、楽しくなっている。
ものすごく不憫だ。まるで小さな子供みたい。



犬だって、長く過ごせば本当に家族になる。何らかの役割を持ち、何らかの責任も持つ。そして、みんなの性格をきちんと知っている。そして、必然的に飼い主に性格が似通ってくる。家の場合は、神経症的で甘ったれで、いつも何かを誰かに求めるような性格。愛情と平穏が欲しくて欲しくてたまらない。
そんなナナを見ていると、本当に悲しくなる。小刻みに震えながら悪夢で起きたり、誰かが泣いているとその人に近づいていったり、そういう風にして家の犬は磨り減っていく。けれど誰も嫌いにはならない。家に帰ると全力で喜び、全力で出迎えてくれる。本当に、会えて嬉しいの、と言う。



けれど、私は本が読みたいのだ。だから、どうしようもない。どうすればいいのか分からない。日常の上で、神経症的なものにどんな対応を取ればいいのか分からない。
横で今も眠っている。小さくなって、悲しそうに時どき震えながら。本当は布団の上で眠りたいけれど、誰かと一緒じゃなければナナは布団で眠らない。可哀想な子。じゃあ、その子の気持ちに合わせて私が布団で眠ればいい。けれど、そういう訳にはいかない。私は本が読みたい。ここで眠ることが正しいとは思えない。ナナにとっても、私にとっても。だから、私は困っている。
まるで、母みたいに(私みたいに)依存的。そして、感傷的で、神経症的で悲しい。自分の育てた犬だと思えば思うほど。









と、書いてみて、ただの親ばかにも思えてきた。けれど、私にとっては深刻なのだ。やっぱり、ナナと一緒に布団で眠ろうかなぁ。