学園祭をしていた。授業をしている時の何倍も大学生らしい自分がいて、ものすごく新鮮で、本物の日常を垣間見たような気もした。



ついでに、こう表現すると違和感があるかもしれないけれど、「現実的な悩み」というものを見た、気がする。まあ、所謂、そういう行事ごとに必ず見るような、上に立つ人と、下で働く人のコミュニケーション不足によるイザコザ、だったのだけれども、思うよりも皆が深刻で重たくて大変そうなのに驚いた。しかも、集団のほとんどが女の子だったので、やり口がひっそりしていて、より思慮深くて、もうそれこそ恐怖だった。
上に立つ子は、どうしても自分の苦労を周りに示したいし、評価も欲しがるのだ。けれど、ああ大変だ、と言いながら、全部仕事を抱え込み持っていってしまう。持っていったのは自分なのに、下にいる人には仕事をしなかった、と怒り、態度にそれを表し、場の雰囲気が悪化する。
下にいる子は、それでも自分の持つ時間を精一杯使ったのに、と怒りはするが、仲間内なので上手いこと表現できずに、陰口を叩く以外方法がなくなる。
両方とも精一杯なのだ。仕事を進めなければいけないという上の子の必死さも、時間がない上に、上の子が仕事を持っていってしまうので深く仕事に携われない下の子のもどかしい思いも、皆ものすごく重たかった。泣き出したり、怒ったり、そういう生の感情はものすごく綺麗で汚い。この歳の子なんて皆肉弾戦で生きているようなものなのだろう、と改めて感動した。そんなんもめてるんだったら、黙ってできる仕事しろや、とも思ったが、違う。こういう感情があってこそが、日常なのだろう。



中間に立っていた私とその友達(明ちゃん)は、どちらも肯定も否定もできずに、なんだかなぁと思いながら、両者の動きを見つつ、裏で操作するしかなくなってしまった。そういう時、少し失敗したな、と思う。どうせだったら祭に乗っかりたい。そうしたら、結構後々ものすごい大きな収穫とか、得られそうなのに。泣いたり怒ったりしたい。
が、冷静にならなければいけないし、客観視して場を丸く治めなければいけないし、この立場は恨まれやすいことははっきりしているので、もうどきどきだ。泣いた子を抱きしめたり、優しく人を諭したり、なんて難しい連中だ、と心の奥で毒づきながら、微笑んでみたり。



皆、必死で仕事に取り組み、イザコザが起こる。これが青春なんだろうなぁ、と思いながら、これっぽっち感情的になっていない自分にがっかりした。半分、皆頭悪いなぁと思っていることにも、がっかりだ。違うだろう。これが一生懸命の証拠だ。皆の欠点が集まって起きてしまった事件が、現実的な悩みというものなのだ。それも、多数がいい。皆がぶつかっている感じがいい。
乗り込めなかった自分が悲しい。とにかく、板ばさみに一緒になってくれた明ちゃんがいてくれて、よかった。一人だったら、私は本当に何もせずに終わらせていたかもしれない。