母は父が嫌いだ。



それは私が物心ついたころから変わらずそうだった。
小さな頃、二階の子供部屋で眠りにつく頃、一階からものすごく大きな声で両親の喧嘩する声が聞こえてきた。母のヒステリックな声、父の響くような低い声。あの時の感覚を未だにリアルに覚えている。ただ純粋に怖かった。
けれど、小さな頃の私に対して救いだったのは、夫婦の間柄はきっとみんなどこもそうなんだ、という素晴らしい勘違いができていたところだろう。皆、どこのお家も、お父さんお母さんは寝る前に喧嘩をしていて、睨み合っているのだろうな、と。
けれど、中学生になって、友達と色んな話が出来る歳になって、その間違いに気付いた。他の家庭はみんな仲良く食卓を囲んで、夜に夫婦は同じ寝室で眠っているんだ、とやっと心から理解した。当時の私にはショックが大きかった。それまで、仲のいい夫婦というものが存在しているのは知っていたけれど、自分の両親が著しく仲が悪いことを確認してしまったのだ。
丁度その頃、両親の仲の悪さはピークに達していた。本当に口を利かない夫婦になり、母の口から父の悪口は毎日でていた。その影響で、私まで父を嫌いになりかけた。きっと、仲が悪いのは父が嫌な人だからだ、と思っていた。



けれど、数年経って色んなことを理解してから見た父は、そんなに嫌な人ではなかった。無口で、仕事熱心で、家族に対して不器用で、一途な人だった。逆に、母の事を嫌になった。どうして一方的に責め立てるのか、分からなくなってしまった。
どうして母はこんなにも父を嫌っているのだろう。どうして母は父の悪いところしか見られないんだろう。父は、なんだかんだ母を愛していた。うんざりもしているけれど、母に対する愛情は、小さく残っていた。その残骸を私は哀しく見つめていた。



けれど、最近気付いた。
母は、なんだかんだ言って父が好きなのだ。捻くれた愛情だけれども、父に対してものすごく期待もしているし、睨んだ目で父を見つめていたんだ。
私が物心ついたころから嫌いだった、けれど、それから既に15年以上経過している。まだ、母は父の愚痴を言う。それって、おかしいだろう。もう失望してもいい頃なのに、未だに一緒にいて、期待して、見つめているなんて。どれだけ父に関心をもっているのか、と。



そして、決定的に暖かく思ったのは、今日。
母がパソコンに長い間向かっていた。どうしたのだろう?と思っていたら、なにやらヤフーで検索をしている。それが、父の名前だった。
父は出版に携わる人間として、検索をかけると少しだけ名前が出てくる位の人間なのだ。ほんの少しだけだが。
「シホ、このページ検索にひっかかるのに、その文章がどこに載っているのか分からないんだけど。」
と訪ねてきたので、懇切丁寧に探し方を教えてあげたら、楽しそうに読んでいた。終いには、2ちゃんねるさえ探り出していた、と兄から報告も入った。
かわいらしい、いじらしいではないか!!



母は、ひねくれている。まるで、私が好きな人の前で、素直に可愛い女の子ではいられなくなるのと同じように、ひねくれている。他の人の前では、どれだけでも愛想よくできるのに。肝心な人の前では不器用。
ああ、なんだ。
と、私はここ数年間の重荷を肩から下ろせた気分になっている。