死んでもいい、という気持ちが胸にずっとあって、なんだか不思議だ。



多分、いや絶対に本当に死にそうになったなら、私は怖くて泣き出すのは目に見えてるのに、どうしても、今なにかの拍子に人生が終わっても、絶対に後悔しないと思えてしまう。死ぬのが怖いのは、痛みが伴うのがこわいだけってこと。
しかも、その気持ちがものすごく穏やかなのだ。何かから逃げ出したい気持ちではない。何もかもが嫌になったからでもない。むしろ、私は今色んなものに感謝しているし、毎日だって楽しい。時に苦痛は伴うけれど、それでも私は今人生に対して、これまでに無い位に安定した肯定の心を持っている。生きていくことは、辛いし哀しいし、楽しいことの方がきっと印象だって薄いと思う気持ちは変わらないけれど、それでも、生きていくことはものすごく素晴らしい。



人はみんな幸福になるために生きていて、それぞれがそれに向かって、怒ったり泣いたり、無気力になる時期があったりすることは、ものすごく必要で、そして時どき美しいものなんだ。何かを考えたり、不器用でも進んだりして、絶望も失望もして、世間擦れしていって、ひねくれたり、ひん曲がったりして、それでも希望を心の奥底で求めたりする。生きているって、そうやって難しいことだらけで、打算も怒りも沢山だけど、ものすごく根本は透明できらきらしている。幸福を祈ったり求めたりするのは、切実で哀しくて、最高に綺麗。
それが、18歳の結論なのだ。



それで、さて、生きていこう、とは思うけれど、なぜか、死んでもいい。人が死を思うとき、それは多分絶望の果てか、希望の果てだろう。本当に辛い時は死んでしまいたいと思って、本当に楽しいとき、このまま死んでもいいと思う。
けど、私は飽和している。どっちでもない。ただ、生きることへの執着がごろんと落ちてしまった。けれど、ご飯も睡眠も最近はものすごく大好きで、どちらとも相性がよくなっている。新しい知識が増える事もわくわくしてたまらない。けど、辛いことだって沢山あるし、それでこっそりないたりもしている。生きている実感も、ものすごくあって、多分今までにない生命力が自分にはある。
だけど、夜の帰り道、一日の楽しいことや辛いことに思いを巡らせながら、死んでもいいな、としみじみ、幸せに思うのだ。やり遂げたわけでもないし、お腹一杯になったわけでもない。まだまだ、沢山のやることは残っているのに。



それを、ものすごく悪く思えない。こんなにも穏やかな気持ちで、波も谷もある毎日を少しづつ生きている。けど、死んでもいい。
それが暖かい。