気が狂う、とか、そういうような状態だ。
まともにそう思える自分がいるだけまだいいのだろう。



よしもとばななの「アムリタ」を久しぶりに読んでいる。そして、思い出した。世の中に対する愛着とか、自分の昔感じていた幸福感とか、そういうもの。確かに私の周りには揺ぎ無い暖かなものが溢れていた。それは、多分、自分が暖かいと思えたからなのだろう。今は、何を見ても、暖かくない。彼女の書く、美しいものへの愛着。私は、その気持ちを真似て生きてきた。どうして、それが消えてしまったのだろう。




ずっと病んだ自分を抱えたまま生きている。最近は酷い。突然泣き出したくなる。実際に泣くこともあれば、泣かない時もある。そして、泣く時は場所を選ばない。電車の中でも、道端でも。ただの変な人だ。何がここまで自分を憂鬱に追い込むのか。それさえ最近はつかめない。どうしても、上手に自分の人生へと乗り込んでいけない。なぜ、今なのか。今、なぜ、私はこんなにも崩れかかっているのか。





「アムリタ」を読んで、もうひとつ気付いたことがある。それは、自分の中からの、「文章としての表現の消滅」だ。私はいつも、何かを考える時に、丁度明文化されるように、自分を文章にしていくようにしていた。そうする事で、何かを客観視していたし、客観視すると共に、その目の前のものの持つ素敵なところを受け入れられていた。目の前の物を表現する事、それは私にとって、その物について考える事と同じ意味を持っていた。何かに表現をくっつけたり、そういう事。幸せをそこから摂取していた。
幸せの摂取の方法さえ、忘れたんだ。




私が抱える問題は、目の前にある事件なんかじゃない。自分自身の醜悪さなんだ。誰かが肯定してくれても、それは、なぜか、埋まらない。
いつのまにか、振り出しに戻っていた。こんな暗い日記読みたくない。