朝、あんまりに暑くて僕は窓を開けた。外から気持ちいい風は入ってきたけど、僕はそんなことあんまり気付かなかった。
だって、雲が地面にあった。
驚いたけど声は出なかった。起き抜けのだるさのせいだろう。
「結花、雲が地面にあるぞ」
朝ご飯を作る彼女に話し掛けた。
「そうみたいだね」
まるで、友達が少しだけ髪の毛を切ってきた時に感想を言うみたいに返事をした。でも彼女があんまりにも普通に返事するから、僕も普通に、そうみたいだ、と答えた。
テレビのニュースもいつも通り軽部とかいう太った奴がなにか喋っていた。まだ完全に目が覚めきらない。彼女の作った朝ご飯をもそもそ食べながら、軽部は朝出てくるのはよくないと思った。
「今日休みでしょ?どこかでかける?あーでも雲おっこちてきたからなあ、人がいっぱいいるところはやだなあ。」
まるで雨の日の話みたいに彼女は淡々と話した。
「雲が落ちて来たこと気にはなってんの?」
「そりゃ驚いたよ。」
まるであらかじめ予想してた事がぴったりあたっていたかのような口調だった。
「この辺散歩する?」
「そうしようか。」
僕達は老夫婦のような雰囲気を漂わせながらでかける準備をした。
「財布持った?」
「あ、忘れてた。」
「ちゃんと持ちなよ。」
そんな感じだった。


外にでても、みんな平凡に過ごしていた。時々大騒ぎしてる人もいたけど、皆うるさいなぁと言わんばかりの顔で見ていた。でも気持ちが僕には分かった。
そりゃ騒ぎたいよ。天変地異だもんな。


僕は砂漠でも同じ事が起きているのを想像した。きっとネズミ達は鷹から身を隠せて便利なんだろう。


公園の中では子供たちはサッカーをしていた。誰が本当に蹴ったのか分からない。皆フェイントかけて遊んでいた。楽しそうだ。でもフェイントかけることに夢中になりすぎて、本当にどこにボールがあるか皆分からなくなっていた。子供たちは雲の下に頭を突っ込んで探していた。雲の切れ目から、ボールが転がるのが僕には見えた。
結花はぼんやり空を眺めていた。
「雲ないねぇ。」
「空には雲は欲しいよね。」
「でも地面にある雲嫌いじゃない。」
「僕も。」
そう答えた瞬間、彼女は間抜けな声を上げながら僕にしがみついた。
「なんか地面に落ちてる!滑ったよ!」
僕はしゃがみこんで地面を見た。菓子パンの袋が落ちていた。砂漠で隠れるネズミみたいだ。結花にネズミの話をした。
「その前に心配なのは、私ネズミがショック死しそうな気がする。」
「どうして?」
「だってさぁ、雲って水分でできてるから、いきなり水気が沢山…」
結花も僕も同時に気付いた。雲は水なのに、そういえばこの雲は全然乾いている。
「きっと雲は乾いたから落ちて来たんだ。」
「そだね。」
僕らは勝手に雲の事情を決め込んで納得した。雲はまるで草原か、もしくは雪原のように広がっていた。


しばらく歩いた。目的地もさしてないが、この辺をじっくり歩いたこともなかったから、退屈は全くしなかった。
「この辺って、結構山だったんだね。」
結花もすっかり忘れていたらしい。僕もずっとそれを忘れていた。坂が多くて辛いという事実だけが、頭の断片に残っていた。上り坂、下り坂を繰り返し繰り返し歩き続けていた。暑いし、疲れたけど、不思議と帰りたいとは思わなかった。ちょうど、子供の頃雪が積もった日の夕方みたいな、そんな雰囲気だったけど、テンションが大分違うな。ゆっくり、ただ時々喋りながら、ぼんやり歩くだけだ。


上り坂を上る途中、向こう側に縦に大きな雲が見えた。
「あの雲、なんて名前だっけ?」
結花はしばらく考え込んでから、入道雲と答えた。僕には合っているかどうかなんて分かりやしない。
「あ、かなとこ状だね。」
「何だよそれ。」
「てっぺんがなびいてるでしょ?」
「本当だ。」
僕達はそれに近づいた。家が沢山雲に隠れていた。まるで雲が飲み込んだみたいだ。
「中、雷か?」
「それじゃ中の人死んじゃうよ。」
「そっか。」
「それはそれでいいかもなぁ。」
結花はそう呟いて、来た方向に歩きだした。僕もそのあとに続いた。
「何で?」
彼女は笑う。
僕は後ろを振り返った。やっぱりでかいな。