あんまりにも憂鬱になっていた。
一昨日、ちょっと前の、何もかもが暗闇だった自分にまた近づきそうなくらい、色んなものに対する憂鬱が押し寄せてきた。日常が私を裏切ることも、いづれ爆発する問題も、恋なのか何なのか分からない不思議な感情も、幸福についても、小さな事をきっかけにじわじわ広がってきた。



そうやって、むしゃくしゃしたら、一番の治療法は絶対にサボることと寝ることだと思う。だから、一昨日の私は大学をサボって、上野でひとりでご飯を貪って、コーヒーを飲んだ。憂鬱に浸りながら、ひたすら何かを見据えようと考え事をする。けど、やっぱり現実は遠く、感情は重い。
そこのコーヒーは驚くほどまずくて、お腹も空いていないのでお皿の上のBLTサンドだって一向に減らない。読み始めた銀河鉄道の夜だって、まだ鉄道にさえ乗っていないところで止まる。本当に、ぼんやりしていた。多分、目の焦点だって合っていなかった。



背もたれに体を全部預けて、煙草を吸っている。頭はそろそろ回転することを放棄しようとしていた。けれど、変化は突然起きた。
突然、何の根拠も無く。
何かが通り過ぎたのだ。まるでカメラのフラッシュみたいな、一瞬の眩い光みたいなものが私の中を通り過ぎた。驚いて、呼吸さえ一瞬止まった。なぜか、重くてしょうがないものが、その光に流されて、溶けて見えなくなったのだ。別に物事に対する解決策が見つかったわけでもなく、色んなことに見切りをつけたわけでもなく、ただ、ただ、光が私を襲い、絶望を取り消した。私は何もしていないのに。
そういえば、前もあった。9月11日の日記にも、同じような、突然の希望についてが書かれてある。けれど、今回は、もっと違う。大きくて、眩しすぎて、きらきらなんて表現じゃ表せない。幸福も希望も何もかも含めながら、けど確固として揺るがない何か。
しばらく呆然としていた。本当に、さっきと同じように店内も窓の外の道も日常を繰り広げているのに、私だけは驚きで動けなかった。次第にその光は、目の奥に残ったカメラのフラッシュがやがて消えるような形をして、薄れていったけれど、衝撃だけはずっと胸の中にあった。携帯を手に取り、私は急いでその特徴を記した。
『本当に、押さえられない位に、鋭くて、透明で、恐ろしい位に大きくて、優しくて、光みたいだ。けれど根本的な何かを変えてくれるものでは絶対にない。でも、今感じた何かの為に私はしばらく上を向いていられそうな気がするよ。一生忘れたくない。』




しばらく、その原因を考えてはいたけど、全くつかめなかった。
でも、今思う。あれは、一種の予感だったのかもしれない。
昨日の夜、私は好きな人の腕の中に治まって、幸せで目を閉じた。相手が持つ気持ちが恋じゃなくても、私が持つ気持ちの形が何だかは分からなくても、私はその時に確かに喜びを感じていた。もしかしたら、その喜びの予感だったのかもしれない。
奇跡みたいだ。そう思った。



結局、家に連絡もしないまま朝まで一緒にいたりして、ああ、私は不良だ、としみじみ思った。別れ際に抱きしめてもらって、笑顔で手をふって、自分の幸せさに、目がくらみそうだった。荒っぽい幸福、だと思う。でも、なんでもいいや。
なんでもいいや。わたしがあの人に抱える気持ちも、貞操も、関係の形も。こんなにも愛しくて嬉しいのだから。それがどんなに不純な感情だとしても、私は後悔しない。
そうやって、少しづつ、抱える憂鬱も遠くなっていった。