色んな人に「幸せになってほしい」と思うけれど、幸せが何かは実は分かっていない。
幸福とは。
まるで哲学みたいだな、と思うけれど、幸せって本当はなんなのだろう。




私が、ものすごく幸せを感じる瞬間は、人といる時よりも、実は一人でいる時だったりする。幸せな瞬間といって思い浮かぶひとつの状況。
冬の寒い日に、ひとりでふらふらと喫茶店に入る。中にはあまり客はいなくて、店員もぼんやりゆっくりと仕事をしている。暖かくて甘いコーヒーを頼み、隅っこにある椅子の柔らかい席に座る。そして、煙草に火をつけて、ゆっくりと吸いながら、コーヒーを飲む。その時に一冊手元にうんとおもしろい本があればいい。
その瞬間が幸せだ。けれど、その幸せは、私が帰るところを持っているから感じられる。それはただ、家という事だけじゃなくて、友達がいて、その子とうんと仲良く出来るから、私はそれを幸せと感じられるのだろうな。




私は人にどんな幸せを掴んでほしいんだろう。




よしもとばななの『アムリタ』にも、そんな内容が書かれてあった。
幸福とは、駅前で見知らぬ誰かに「幸せとは何ですか?」と聞いている時はずっと遠くに離れていってしまう。けれど、アルコールを沢山飲んだりするごとに、どんどん近づいてくる。
と。でも、アルコールの恍惚は幸せなんかじゃなくて、本当は覚めた後に来る寂しさとか、後悔の前触れなんだ。それでも飲みたくなる。それは、あんまりにも痛々しい事。
睡眠も同じな気がする。眠る瞬間、そして眠っている最中、意識は遠のくくせに、妙に安心や心地よさを感じて、幸せがそこにあるような感覚に浸ってしまう。起きてしまえば、状況は何も変わっていなくて、目の前には眠った分溜まったやらなければいけないこととか、眠りすぎて妙に気だるくて、何もしたくなくなっていたりして、気落ちする。そして、また眠りたくなる。
そういう幸せは中毒と同じで、ちっとも幸せなんかじゃない人間の感じる事かもしれない。瞬間の幸福。




幸福は瞬間の幸福なんかじゃなくて、長い期間楽しく生きられる事、かな。
朝起きて、それぞれの行く場所に出かけていって、仕事や勉強の合間に友達と話して、笑って、また作業に戻っていって、失敗もしたり、上手くいったりで、夕方にはまた友達や恋人や家族と話したりご飯を食べたりして、相手と心が通じたり、喧嘩したり。それでお風呂に入って、布団にもぐりこんで、今日の楽しかった事とか思い浮かべて、明日は何があるんだろう、何をしよう、って考えてるうちに、眠ってしまう事?それが、毎日続いていく事かな。
でも、そんなのは、実は瞬間の幸福と変わらないのかもしれない。いずれ、大変なことが起きて、何かががらがらと崩れていって、食べられないとか眠れないとか、楽しくないになっていってしまうのだから。
仕事で成功したり、お金が沢山手に入ったりしても、それが幸福とは限らない。音楽を聴いてすっかり陶酔しても、それはしばらくしたらなくなってしまう。



人それぞれの価値観としか言いようはないけれど。でも、本当の幸せとか、一瞬の幸せとか、何でもいいから。生きてる事や、毎日の日常を愛せるような、それで、自分のことを嫌いにならないような、そんな風にいてほしい。自分も、誰かも。