浮き足立っていると、母に言われた。それは確かだ。どうしても、確固とした自分が思い出せないから。もしかしたら今までも無かったのかもしれない、と思ったらぞっとした。



しかし、数年前の私は、確かに何かを感じていた。例えば、友達と話しているとき、その人の思うところの深い所を読み取れていた。友達との間にある、痛みや悲しみの雰囲気に捕らわれ、共に泣くことが出来た。あるいは、叱咤する事が。
それ以上に、人間が醸し出す雰囲気以外にも、深く共鳴できた。まるで、第六感を使うかのように、物に、動物に、家具に、料理に、さまざまなものへと。それを誇りにしていた。



しかし、私は、その誇りだけで、確固とした自分を持っていただろうか。自分というものは、どこかにいただろうか。消えてしまった、思想や自我。私はそれが怖くてたまらないのだ。